出身地 東大阪市  
   
生年月日 昭和18年(1943年)9月2日
   
主なプロフィール 【経  歴】
 東大阪市立玉川小学校 卒業
 東大阪市立玉川中学校 卒業
 大阪府立八尾高等学校 卒業
 関西大学商学部 卒業
 毎日新聞社入社(16年間勤務)
 
 平成7年4月〜平成18年5月
  大阪府議会議員初当選(平成7年4月)
      <以後3期連続当選>

 平成27年4月
  大阪府議会議員4期目当選

    ・自民党府議団 政調会長
   ・総務常任委員会 委員長
   ・土木建築常任委員会 委員長       
   ・環境農林委員会 委員長
   ・決算特別委員会 委員長 
                などを歴任
【現  在】 
   ・大阪府議会第113第副議長
   ・大阪府議会自民党歯科医師議員連盟会長
 
   
政治の基本

 

 

 

 

 

 

 

 


 

昭和42年に大学を出て、16年間サラリーマン生活を送りました。
 近頃では、サラリーマンも本当に厳しい時代になっていますが、当時は、高度経済成長の時代とも重なっていましたから、自分なりに一層懸命に努力をすれば、将来の夢は必ず手にすることが確信できた時代でありました。
 娘2人と息子1人が生まれ、充実した仕事と賑わいのある家庭を築き、生活をエンジョイしていました。その意味では「安定した」サラリーマン生活の真っ直中にいたわけです。
 しかし、高度経済成長も終焉にさしかかり、今から思えば、バブル経済のはしりの昭和50年代後半になると、多くの現代社会の矛盾やほころびが、気にかかりだしました。
 家庭や家族の崩壊の問題、将来を担う子どもたちの心や教育の問題、金銭第一主義へ傾斜していく価値観の問題、わが国経済を支えてきた都市産業の空洞化など、これらの問題に早急に手を打たなければ、将来に禍根を残すことになるのではと考えるようになりました。
 私の性格は、一見のほほんとしているように見られがちですが、実はいったんこうだと決めたら、即実行してしまう傾向が強いのです。時には災いすることもありますが、「熟慮して決めたら、猪突猛進する」のが、私の性格です。
 この勢いが、昭和58年、サラリーマン生活を終了させ、府会議員である兄の議員秘書として、政治の道に突入させることとなりました。「熟慮して」と言えば一言で終わってしまいますが、本当は、「安定した生活をとるか、厳しい政治の道への挑戦をとるか」随分と迷ったのが実際の話です。
 「一人の人間の小さな力でしかないが、大きな社会の中でその力を試してみたい。40歳になる前のこの時期が、思い切る最後のチャンスである」と決意いたしました。今後の生活は、あまり考えず、どうにかなるとたかをくくりました。決意を実行させてもらったことに、妻と子どもたちに本当に感謝しています。
 議員秘書時代に、これまでまったく関係のなかった地方自治を基本から実地勉強をし、そして平成7年4月の選挙で多くの方々のご支援をいただき、7議席中のトップで、伝統ある大阪府議会に送り出していただきました。
 私の政治の基本は「人間」です。子どものびのび、大人いきいき、お年寄りゆうゆう。みんなが安全で安心して暮らしていける社会をつくっていきたい。
 国土が狭く、資源に恵まれないわが国だからこそ、人間を大切にして、人間の多様な能力を開発することが、わが国が今後とも世界の中で発展していくための最も大切なことの一つだと思います。そして、人を思いやる心を育み、人と人が協調・共生していける社会を創っていきたい。
   
座右の銘 我以外 皆 我が師

吉川英治の小説「宮本武蔵」の中に出てくる言葉です。今後、この言葉どおり更に一歩も二歩も自己研鑽に努めていく決意です。
 

 

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